その手放せないものを手放すのが滝行。

滝行は各所で作法が異なる。

私の滝行では九字を自分で切ってもらう。

ところがだ。

滝で九字切ってね、と指導しても

切らない人がいる。

別にそこに強制はない。

人によって、

もしくはその人の背景や先祖の霊によっては九字は切らない人がいたりもあるのでケースバイケースケースではある。

しかしその存在が入っているならまだしも、

自分が入っているのだとしたら何かあるということになる。

初めてだと切れない時もままある。

余裕がなくて切れないのは仕方ないのだが、

切ろうと思えば切れるはずなのに切らない人が時々いる。頑なに切らない。

何かにこだわり手放せていないのが明らかだったりする。

そしてよく見るとそれはやはり核心だとわかってくる今日この頃。

自分の世界に入ってしまって
本来のつながるべき世界に繋がれていない。

こだわりはいらないし

自分らしさもいらない。

素直に受け入れてた先に

本当の自分がいるのだが。

滝行は自分で立つための訓練であり、

そのためには自分で断つこともできなければいけない。

九字を切るとはそういうことなのです。

龍光 拝