【1日店長日記】
マンサンダルは結果ではなく”プロセス”=”通過儀礼”。
滝行ではいつも「滝そのもの以上にその前後の過程(プロセス)が寧ろ大事」と説明していますが、
マンサンダルも結局同じことのような氣がするこの頃。
“裸足への架け橋”という存在意義的にすでにプロセスですが、
やはりマンサンダルを手に入れたら終わりではないし、
マンサンダルを履いたから終わりでもない。
寧ろそこから始まるもの
始めざるを得ないものが沢山あります。
色々氣づいちゃうから。

いままで氣づかないでおこうと本能的に避けてたものに気付いてしまうんです。
ここにフォーカスしないと
マンサンダルを手に入れても
なかなか先に進まない。
「ゆるふわりん」が現すように
「りん(凛)」と自分自身が立てているのかどうか。
マンサンダルはそれが試される。
砂利というランダムで流動的な刺激をいなしながら受け入れられるのか。
それこそ滝行の龍のように暴れる水と
実は本質は同じと言えます。
ゆえにマンサンダルも滝行と同様に
過程であり、
その先に至るためのツールなのです。
それを手に入れたから成れる・終わるものではないと言えるでしょう。